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札幌で活動する「Lakura分室」オーナー 鳥居はゆきさんのお話

すすきのの喧騒から少し離れた場所に佇む、趣のある古い蔵。
中をのぞくと、この蔵で洋服店とカフェを営む 「Lakura 分室」のオーナー
鳥居はゆきさんが迎えてくれました。
木の床やテーブルに、大きな暖炉、奥にはグランドピアノ。
外光が優しく差し込む店内は、重厚で厳めしい外観とうらはらに、温かい雰囲気です。
鳥居さんは、日本フィル、新日本フィル、札幌交響楽団主席チェロ奏者を歴任した道内・国内屈指、
札幌在住のチェリストである土田英順氏のピアノ伴奏者として2011年より道内・道外・被災地で様々な活動を行ってきました。

◆あの日、TVの前でただただオロオロするだけの自分がいました。
震災が発生時はいつものように店にいた鳥居さん。
「いつもより長く揺れてるな」とは思っていたものの、それほど気にも留めていませんでした。
状況を知ったのはその日の夕方。仕事を終え自宅でTVをつけた瞬間、その恐ろしい光景に愕然とし
ます。「TVの前でただただオロオロするばかりで、刻々と被害の模様を伝える映像を見ている事
しか出来ない自分が本当にはがゆかった。」
自衛隊や看護師だったなら、すぐにでも被災地での活動に参加できたのに、
「この時初めて自分が服屋だって事を後悔しましたね。」と当時を振り返ります。
「自分に出来る事は何だろう」鳥居さんは、すぐに、チャリティコンサートの会場にと、店を提供。
その入場料や募金をユニセフや赤十字への寄付を開始しました。

◆土田英順さんとの出逢い。16年ぶりのピアノは地獄のはじまり・・・!?
その年の4月、チャリティコンサートの会場を探していた土田さんに会場を提供した事がきっかけで、お酒が大好きな英順さんと飲みに行く間柄となります。音大でピアノと声楽を専攻していた鳥居さん。この出会いをきっかけに久々にクラシック熱が再燃、土田さんに相談したそうです。
「(ベートーヴェンの)月光から初めてみたら?メロディラインを抜いて練習しなよ。
弾けるようになったらセッションしてみよう」
その後、「会うたびに、どういうわけか譜面をくれるようになって。笑」
1曲・・2曲・・と増えていく楽譜。土田さんからの宿題に応えるかのように
かれこれ10曲近くを弾きこなすようになった頃、試練は突然訪れます。
ある日「ところで、何曲弾けるようになった?」と土田さん。
「10曲です」「じゃあ、大丈夫だな。ついてきて」
そして連れて行かれたコンサート会場。そこで「伴奏をやってみろ」。
大学卒業後はアパレルの道に進んだ鳥居さん。
国内外に名を轟かす一流チェリストと共に舞台に立つのに、
16年のブランクはあまりにも大きすぎたのは想像に難くありません。
初めてのステージの後「『オマエ、クビにするぞ!!』と怒鳴られました・・」
「そもそも、私は英順さんに雇われていたわけでも伴奏をさせて欲しいと頼んだわけでもなんでもないのに・・。」
憮然とした思いと悔しさで迎えたその夜、「もう一度チャンスを与える」というメールが。
「ホントに勝手ですよね~! もう、いったい何なんだって思いましたよ!笑」
しかし、16年ぶりに蘇った感触と感覚に、音楽家としての魂に火が付いた鳥居さん。
次のコンサートに向けCDを聞きまくり猛練習を開始します。
そうして臨んだ年末、2回目のステージ。土田さんの伴奏者として感じた僅かな手応え。
新年早々に土田さんから来たメールには、
「『今年は、たくさんチャンスを与える』と。またも一方的な任命。笑」
そうして、土田さんの勢いに巻き込まれるような形であったものの、
鳥居さんは正式に土田英順氏の伴奏者としての被災地応援活動がはじまったのです。

◆6年目を迎えるチャリティコンサート活動。そこには有形無形の多くの想いと支援があります。
チャリティコンサートの活動は、道内だけではなく時には被災地に赴きます。
「土田さん共々、仮設住宅に滞在して見知らぬ人とも一緒に雑魚寝しながら、
集会場、公民館、学校、ビニールハウス、列車の中。要望があればどこでも演奏しました。」
間もなく80才に手が届く土田さんと、その半分ほどの年齢の鳥居さんは、もはや親子の様な間柄。
旅の道中は「結構ケンカもするし、お互い言いたいことはなんでも言います。そうじゃないと旅は
できませんよね。」鳥居さん曰く「短気」な土田さんと、英順さん曰く「のん気」な鳥居さんは、
どうやらなかなか良いコンビのようです。
こうした活動にかかるお金は、移動にかかる交通費を含め全て自己負担。
活動をスタートしておよそ2年近くは、全て英順さんが捻出してきたといいます。
ギリギリの中での活動。活動継続の危機に陥りそうな矢先、その状況を知った人々からの活動支援の
申し出に、「本当にありがたかったですね。こうして、私たちの活動を陰ながら支援してくれる方
達、私や土田さんが東北にいく間、様々な事を助けてくれる家族、
土田英順さんが立ち上げた「じいたん子ども基金」に毎月毎月必ず振り込みを続けてくださる方。
支援の形は直接的なものや目に見えるものだけじゃない。報道されない目立たない支援もたくさんあるんですよね」と鳥居さん。
支援や募金で集まったお金は、“頂いたお金ではなく、預かった大切なお金”。
土田さんはその大切なお金の使い道を、1円単位で詳細に克明に記録・開示しています。

◆私に出来るのは、一生懸命練習して演奏する事。
それが結果的に誰かの心の安らぎになるのなら、こんなに嬉しい事はありません。
「ボランティアとか支援とかそういう言葉はあんまり好きじゃないんです。」鳥居さんがいいます。
「目の前で誰かが困っていたら、自分が出来る手助けをする。
それは本当に自然で当たり前な事。全然特別なことじゃないって思うんです。」
そんな鳥居さんのスタンスは、父親が福祉関係の仕事に携わってきた事や、通った小学校での
青少年赤十字活動への取り組みなど、生育環境の中で自然に培われてきたのかもしれません。
「大義名分を振りかざさなくても、ふと、周りを見た時に気づいた事があれば行動する。それだけです。」
鳥居さんはそんな「さりげなさ」で、被災地の人にそっと寄り添う。
「何も特別なことなんてしてません。ただ思いついた世間話をするだけ」そういって笑う鳥居さん。
「でも、16年前に辞めた音楽が、ひょんな事からこうした支援活動の糧となって私らしい活動を続
けられている。自分が一生懸命練習する事で、誰かの心に明るさをともすことができるなら・・
こんな嬉しい事はないですね。」

2016年3月5日地下歩行空間での演奏をもって、鳥居さんは英順さんの伴奏者としての活動は卒業。
今後はこれまで活動を支えてくれた子ども達の成長を見守りながら、自分のペースで様々な支援活動
を続けていくそう。「あ、1つだけ今からとっても楽しみにしている約束があるんです。
陸前高田でお世話になった冨山さん(冨山さんの記事はコチラをご覧下さい。)。
冨山さんが新たにイマジンをオープンしたら、1番に演奏に行くって約束。
この間は二人で恋の話なんかしちゃったりして。笑。再会が楽しみなんです。」
「その時の為に、もっとピアノの腕を磨いておこう。」
鳥居さんは今再び、大学時代の恩師に師事し指導を受けはじめました。
土田さんとの出逢いがきっかけで、もう一度美しい音色を奏でるようになった
古い蔵のグランドピアノが、春の陽射しをを受けて何だか嬉しそうに見えました。

鳥居はゆきさんと土田英順さんのこれまでの活動の模様と、「じいたん子ども基金」に関する情報は、こちらのブログ土田英順のボストンバッグにチェロと酒からご覧下さい。