活動報告
2015 年 05 月 22 日
震災語り部の会 vol2 報告
2011年3月11日。あの日から4年の月日が過ぎました。被災地に関する報道もめっきり少なくなり、世の中の関心も少しずつ薄れてきたように感じられます。被災地の「今」はどんな様子で、そこに住む人は何を思い、日々の暮らしを送っているのか。改めて『震災』について考えるために、北海道アルバイト情報社では直接被災地の方からお話を聞く場を作りました。それが「アルキタ 東北復興応援!ことづてプロジェクト presents『震災語り部の会』」です。第2回目となる今回は、宮城県女川町で『小さな復興プロジェクト』を立ち上げ活動している湯浅輝樹さんと、宮城県石巻市で被災された株式会社高砂長寿味噌本舗の高砂和典さんにお話しいただきました。 MCにはFM North WaveでDJとして活躍、自らの番組内でも東日本大震災からの復興をテーマにしたコーナー、Light For Tomorrow「震災を忘れないために」を設け活動を続けている、タック・ハーシーさんを迎えトークセッションがスタート。
語りべの会の後半では、北海道を拠点に活動しているオトキタ登録アーティスト中田雅史さんによるミニライブも行われました。中田さんもまた、震災後すぐに地元島牧村のボランティアと共に岩手県大槌町に向かい支援活動を行っています。
<湯浅さんのお話>
私は札幌出身で仙台在住。震災の1カ月後から女川町に入り、炊き出しなどの支援活動に参加しまし た。そこで目にしたのは、電気もない避難所=体育館の床で、段ボールだけを仕切りにプライバシーも何もない生活を送る住民の皆さんの姿。楽しみも先の見通しも仕事もない生活で何か「仕事」を作り出せたらと考えて、誕生したのが「onagawa fish」でした。すべて手作業で、木材を魚の形に切り出し、何段階にも分けてヤスリで磨き、天然由来のオイルで仕上げます。何よりも大切にしたのは「復興支援」ということを抜きに「いいね」「欲しい」と思ってもらえる商品であること。また、避難所でも簡単に作業ができることです。 今年3月、津波で流された女川駅に新しい駅舎ができ、災害に備えた駅前整備も行われました。ですが、女川ではまだほとんどの人が仮設住宅で暮らしているほか、町を離れたまま戻れずにいる人も多いのです。復興はまだこれから。雇用、観光、インフラを整え、今まで以上に魅力のある街づくりをしていきたいと思います。
<高砂さんのお話>
震災時、私は石巻の本社事務所で仕事をしており、雪がちらつく中、社員一同で近くの小学校に避難しました。社長(父)と私と弟で毛布を取りに会社に戻ろうとしたところ、前と後ろから津波にはさまれ て...。幸い、2mほどのブロック塀によじ登ることができ、流れてきた人を4人引き上げて計7人でそのまま塀の上で数時間、寒さに震えながら過ごしました。遠くの方に流れていく人たちを見ましたが「助かってくれ」と祈ることしかできず、今もその顔は脳裏に焼き付いています。 震災後は廃業も考えましたが「この味をまた食べたい」とおっしゃってくださるお客様も多く、5月に操業を再開しました。震災によって地元企業同士の絆がより深まり、海苔を作る会社とコラボしたドレッ シング作りなどができるようになったのはありがたいことでした。ですが、湯浅さんのおっしゃったよ うに、復興は「まだこれから」というのが実情。新工場を建てたものの人が集まらず、ラインを止めている会社も多くあります。また当社の前には宮城県で2番目に大きな仮設住宅があり、今も多くの方がそこで暮らしています。震災は、決して終わってはいないのです。
湯浅さん、高砂さんが共に繰り返し口にしたのは「復興はまだこれから」「忘れないでほしい。風化させないでほしい」ということ。実際、活動の中で「いつまで復興だ、支援だなんて言い続ける気だ」と いう心無い言葉をかけられることもあるそうです。「それだけに、今日こうしてこのような会を設けて もらえたのはとても嬉しい」と口を揃えました。
二人のお話のあと、シンガーソングライター・中田雅史さんが「夕陽に映える鴎」ほか4曲を熱唱。最後に、来場者の皆さんに高砂長寿味噌本舗の赤味噌を使った豚汁が振る舞われました。