活動報告
2013 年 07 月 07 日
第16班 7月仙台・東松島・石巻・女川への訪問
6月の完成したばかりの「ことづて」宮城版を届けに宮城へ。取材に協力頂いた方々に「ことづて」をお届けする他、仮設住宅や小学校・商店街を訪問し、お話を伺います。
13時の飛行機で約一時間。あっという間に仙台に到着しました。空港から約30分位進んだところに、「仮設住宅」があります。こちらの仮設住宅でお会いした女性は、震災で家も何もかも流されてしまいました。お聞きした事で一番身に沁みたのが「震災のせいで、道が変わっちゃった。」という言葉。震災で何もかも無くなり、お子さんも体調を崩してしまい、自分も働きたくても出られない。住宅は少しは期間が伸びたものの、来年の5月末まで。今まで普通に暮らしていた生活を飲み込んでしまったこの震災の傷跡はながく続くんだな、と実感した初日でした。
翌日、私たちは閉校記念誌の打ち合わせで石巻市立湊第二小学校を訪問しました。
HAJが閉校記念誌の制作・印刷のお手伝いを行います。湊小学校との合併により来年2014年3月末で閉校する事となった港第二小学校。
来年2月の閉校イベントにはたくさんの関わった方達にお渡ししたいと校長先生も担当の先生も一生懸命でした。写真などのデータも地元の新聞社さんの協力のもとたくさん集めることができたそうです。
震災の時の話を聞いてみると、丁度地震が起きた時は、帰りの会が終わった位で下校するかという時。大きな地震と津波の回避のため先生生徒は2階へ避難。石巻では一番新しかった校舎1階はすべて浸水。震える子供たちに声をかけながら過ごしたそうです。食べ物も水も無かったので、職員室にあったスティックシュガーやアメなどを分け合ったりして、自衛隊が来るまで3日間を過ごしたそうです。誰もが「想定外」だった地震の姿が、先生の言葉から伝わりました。
4日間の間、私たちは沢山の人と会い、沢山の話を伺いました。大変貴重な経験をさせて頂きました。行かなければ分からないことも感じた事も沢山ありました。震災時テレビで何度も流されていた、石巻全体を見渡せる日和山。ニュースでみた当時の映像を重ね合わせながらみる景色は本当に悲しい気持ちになります。大きな川すぐ近くで、小学校のみならずこの辺りほとんどの方が亡くなった旧石巻大川小学校跡地 。大きな慰霊碑が立ち並び、御参りしている方もいた。煉瓦造りのモダンな校舎、建物の上まで津波がきたとは想像できない。裏山に逃げれば良かったのにという話もあったが、とてもじゃないが登れない急な斜面。誰も責められないことだなと感じました。
復興から2年半が経ち、瓦礫はきれいに片付いてきて、新しい家や工場もすこしずつ建ち始め、他から見ると復興が進んでいるように見えます。でも震災時のことを思い出し病気になる方が多い事、せっかく新しい動きが始まっているのに若い人が求人しても集まらないこと、何よりも心に負った傷は一生消えないと思います。お会いした方みんなが言っていたのが「私たちが頑張る事が助けて頂いた方への恩返しになる」という言葉。今後もHAJの支援活動は続くと思いますが、どんなことをすれば頑張るお手伝いができるのか色々と考えてたくさんの希望を作れたらなと思いました。